オソレナガラ シャーロット・ケイト・フォックスさん

最終週が、最終週だっただけに、

いわゆる「あまロス」にはならなかったが、

その後の2作が、なかなか

盛り上がりにくかった

作品だっただけに、

 

第1話を見て、

まー、エリーさんのかわいさに

持っていかれた。

 

そもそも、NHK朝の連続ドラマ小説

いわゆる朝ドラなど

いままで、縁もなく、

長々と156話も

やられると、イライラしていたのが、

正直なところだ。

 

ちょうど、「あまちゃん」が

話題になっていた頃、

そのころ、会社での部署が

変わって、電車通勤になった。

 

通勤時間に、NHKオンデマンド

を見まくっていた僕が、

いよいよ、見るものがなくなり、

 

大好きな井上真央主演の

「おひさま」に手を出した。

 

もともと、戦時中の話は嫌いではない。

1週、2週は井上真央を見ることを

目的としていたが、

3週目くらいから、面白くなってきた。

 

その高揚感をもって、「あまちゃん」を

見ると、あらま、面白い。

 

NHKオンデマンドで、一気見で

追いつき、最終週まで、

リアルタイムで楽しめた。

 

これは!と思い。

朝ドラをNHKオンデマンドで、

梅ちゃん先生

純と愛

てっぱん

ちゅらさん

順不同で見まくり、

すっかりはまってしまった。

 

話題の作品

ゲゲゲの女房

カーネーション

は、なかなか手が出せず、

ズルズル見ないでいる。

 

これで、少し好きな作品の

傾向がわかりそうなものだ。

 

ごちそうさん」は

そもそも期待していなかったが、

花子とアン」には

それなりに、期待していた。

でも、

ごめんなさい、

イマイチでした。

 

ま、若手女優の品評会でしたね。

高畑充希土屋太鳳

 

ですので、

朝ドラ史上初の外国人ヒロインということで、

話題をさらっていたが、

主演が玉山鉄二ということで、

竹鶴政孝さんの話を

知っていたとしても、

そこまでの、期待はしていなかったし、

できなかった。

 

ところが!である。

 

完全に金髪にしたエリーさんが

ネットでも言われている通り、

制作者側の

「日本人好みの外国人を選んだ」

とのコメントに違わぬ、

魅力的な方で、

 

ずっと見ていたい。

と、思ってしまった。

 

昔から、日本で頑張る

外国人が好きだった。

 

物心つくと、今でも変わらないが、

日本の立ち位置を思い知らされる。

 

スポーツにしても、音楽にしても、

映画にしても、日本のものは

評価が低かった。

 

国自体に劣等感を感じていた。

 

海外で活躍する日本人を

見ると、過剰に誇らしく思った。

 

だから、未だに、

オリンピックでの金メダル獲得数に

こだわってしまう。

 

同時に、こんな日本に

来てくれる外国人には

無条件にファンなる習性を得た。

 

今回のシャーロットさんは

そんな自分の習性に見事にはまったと言える。

 

ドラマ自体も、安定した

王道タイプのドタバタコメディ風に

持っていっているので、

無警戒で、楽しめている。

 

NHKのキャスティング

特に朝ドラは、まぁいつもすてきで、

今回、大注目は、

個人的には、ピン子さんだ。

 

シャーロットさんに、

引けを取らず、ピン子さんの

かわいらしさが溢れ出ている。

 

ネットでは、怖いだの、

脂っこいだのとの、意見も多いが、

 

あのまるっこい風貌は愛嬌があり、

かといって堂々たるオーラは半端ない。

 

あのピン子さん、いや早苗さんが、

本気で泣くとき(おそらくキャラクター上、ウソ泣きが多くなると思う)

お茶の間の多くの涙を誘うのではないか。

 

これまでに一回だけ、

早苗さんは、本気で涙を流した。

 

法事の場面で、

エリーさんが親戚たちの人気を

得たあと、

「でてってつかーさい」と

叫ぶシーン。

 

味方がいないという、そんな小さな

感情で泣いたんではないということは

容易に感じられる。

 

今まで生きて来た明治、大正の

日本の文化。

自分が疑いもなく信じて生きてきた

伝統の習わし、

自分の人生や、自分に至る親や、

先代をも、これからは否定されて

行くのではないか?

という恐怖感。

 

異人さんと呼ぶ時代だ。

エリーさん個人に対する感情ではなく、

外国文化という、日本人としての

自分のアイデンティティーを脅かす

存在に、ただひたすらに恐怖感を

感じての叫びであり、涙だったと、

感じる。

 

その後、エリーさんを追い出すため、

「後生ですけん」と頭を下げた際の

涙は、嘘泣き。

 

息が詰まるほどの恐怖感を感じた早苗さんなら、

やりかねないし、その後の仏壇の前の、

早苗さんの表情が、それを物語っている。

 

行間を読もうと努力している訳ではないが、

おそらく、早苗さんはエリーさんを

本当は嫌いではない。

もし、日本人なら、受け入れられたかもしれない。

だが、かなしいかな、エリーさんは、

英国人。

 

理解不能のうえ、政春さんから結婚するという

手紙をもらった際に感じた、西洋文化への

自分が持つアレルゲン感覚が、

実際に、会ってみたエリーさんの、

我が息子への一途な愛を感じ、

西洋文化を拒否しつつけなければならない

老舗の造り酒屋のおかみとしての、

使命感が、若干揺らぎ、エリーさんを

受け入れそうになった、危うい自分の

意識に気づき、必死にその感覚に抵抗する

早苗さんの痛々しいくらいの

明治の女感が伝わって来た。

 

だからウソ泣きしている中、

一つだけ真実を語る。

「うちが母親ですけん、

許すわけにはいかんのです」

 

そう、自分が

「亀山のおかみではなかったら」

などと考えたりしない。

自分は亀山のおかみ。

それ以上でもそれ以下でもない。

早苗さんは、それ以外の

考えをもつことはない。

 

綿々と受け継いで来た、

亀山のしきたりを

破壊する恐れのある異物は、

周囲の意見がどうであれ、

排除するしかない。

 

亀山の伝統の中で、

入り込んでこなかった、

異人さんは、それだけで

異物となってしまう。

 

エリーさん自体は、

肌感覚で、好きになれる人だと

早苗さんも感じたかもしれない。

 

でも、

早苗さんは早苗さん。

許す訳にはいかんのです。

 

今後、早苗さんは、エリーさんを受け入れるだろう。

そして、

「政春を頼む」のほかに、

「よく、がんばった」

という主旨の言葉を伝えるだろう。

 

そのとき、お茶の間は涙の洪水に、

見舞われるだろう。

 

むしろ、それがないと、

早苗さんをあのようなキャラクターに

した意味がない。

 

そのシーンがいつ来るかは、

わからないが、

いずれ、早苗さんはなくなるらしいが、

それまでには、必ずくるはずだ。

そのシーンを今から、楽しみにしている。

 

若干気になるのが、

エリーさんの日本語だ。

語彙が多いのである。

 

計算すると、

エリーさんと政春さんが出会ってから、

2年はたっていない。

 

恋仲になっても、丸2年は厳しい。

普通、恋仲になってからでないと、

相手の国の言葉を勉強しようとは思わない。

言語習得とは、覚えるなどと

生半可なことではなく、

本気で勉強するか、その言語しか

ない状況に身を置くか、どちらかしか

方法はない。

 

エリーさんは、環境的に日本語習得には

かなり、不利な状況にいた。

 

スコットランドにいた頃、

日本語を話す人間は政春さんしかいないし、

政春さんも英語が上手だ。

となると、日本語を話す必要性が極めて少ない。

つまり、日本語を自然に習得する環境にはなかった。

 

とすると、勉強することになるが、

しっかり、稽古して来たとはいえ、

それにしたって、習得期間が短すぎる。

 

どんなに天才であったとしても、

DVDやインターネットがある訳でもなし、

当時のイングランド、ロンドンあたりなら

わからないが、

 

スコットランドの片田舎が、

当時日本という存在すらも、

知っていたかどうか。

 

そんなところに、日本語を習得するための

資料が存在したなどと、考えなくてもわかる。

あるわけがない。

 

だとすると、先生は政春さんだけになる。

スコットランドの期間中、常に6時間以上日本語を

教えていたというとしても、苦しいが、

政春さんは政春さんで、ウィスキー造りの勉強に

寝食を忘れている時代に違いない。

 

語りの人も言っているように、

そこまでに真っすぐさがなければ、

エリーさんは政春さんに惚れなかっただろう。

 

だとすると、エリーさんが日本語を習得できる

現実と、日本に来てわずか数日。

 

その時間的計算上、やっぱり話しすぎである。

 

「ママの反対をオシキッテ、、、」

「押し切って」という単語は、

どう考えても、あの頃のエリーさんが

自らの意識の中から、自らの力で

取り出してくるには、

かなり困難な単語に思えるのだ。

 

それに、エリーさんの日本語に

広島弁が入っていないのも気になる。

 

その当時日本語に触れる機会は

政春さんに限られていたと考えるのが普通。

 

あれだけ、ゴリゴリの広島弁

政春さんの日本語だけにさらされて、

イントネーションすら、

混じっていないのは違和感がある。

 

かつて、倉本聰が言っていたが、

ドラマでは、大きなウソはついても、

小さなウソはつくな。

 

という、考え方に照らすと、

ちょっとケアは足りなかった

かもしれない。

 

せっかく、日本未経験の

シャーロットさんを起用

しているのだから、

仮に、朝ドラの制約が

念頭にあったとしても、

少し、もったいないなぁと

感じる。

 

政春さんにも、つっこみ所はある。

お父さんと相撲ととりながら、

「オヤジから逃げてるじゃないかって」

 

ごめん、唐突すぎます。

 

このシーンに関しては、

伏線がなにもない。

そのまま、ウィスキーに

突っ走っちゃえばいいところ、

 

そんなに関係に問題がなかった

お父さんとの間に、

感情的な問題を生じさせる。

 

あんまり意味のあるシーンではなかった。

 

このシーンの目的は、

お母さんは、反対しているが

お父さんは応援してやるぞ。

ということを、示すシーン

だったと思うが。

 

このシーンの会話の中に、

エリーさんがの件が、

ひとことも入ってない。

 

「ええ子じゃないか」

と、お父さんからの振りが

あったにも関わらずだ。

 

「なんで、何も言ってくれないの?」

と、入りはよかった。

だから、政春さんのいきなりの吐き出しに、

前後、なにかつけるか、

母に認められないが、本当にエリーを愛しているという、

宣言をさせると、もっと感動的な

シーンになった。

もったいない。

 

吹き替え部分は、賛否あるようだが、

家事をしながら見るという

朝ドラの立ち位置を見逃すわけにはいかない。

 

そりゃ制作側にしてみれば、

なにも声優を別に雇って、

経費をかけるよりかは、

NHKとはえ、テロップで安く

すませたいと思っているはずだ。

 

でも、朝ドラは基本、

朝忙しい主婦、高齢者を

ターゲットにしているだけに、

長々と字幕を出されたら、

NHK優しくない。

となる訳だ。

 

個人的には、吹き替え式には

大賛成。

 

自国語で話す、エリーさんの

細かいニュアンスまで伝わり、

それはそれで、効果的だ。

 

1週目だけで、まぁまぁの

つっこみ箇所をつっこんでは見たものの、

今のところ、次が早くみたいと思える

作品である。

 

その大部分が、

シャーロットさんを見ていたいという、

思いに起因する。

 

実際そう言う人も少なくないのではないか?

 

それは、シャーロットさんを選んだ、

制作スタッフのファインプレーと言えよう。